今日のふとす

モットーは「毎日開店」。

無駄

最近、『羊と鋼の森』という小説を読んでいる。

その中で、調律師として働いている主人公と先輩調律師が、

「無駄」について話をする場面がある。

 

「よくわかりません。無駄ってどういうことを言うのか」

何一つ無駄なことなどないような気がすることもあれば、何もかもが壮大

な無駄のような気もするのだ。ピアノに向かうことも、今、僕がここにい

ることも。

 

この文章を読んだときに、ぼくも「無駄ってなんだろう」と思った。

 

主人公のことばにある「何一つ無駄なことなどない」というのは、

どれも見方や考え方しだいで、プラスにとらえることができる、

ということだと思う。

そういう意味では、「すべてが必要で大切」という生き方もできるはずである。

 

その一方で、主人公のことばにある「何もかも壮大な無駄」の「何もかも」とは、

人間の営みさえ含むのかもしれない。

無駄だと言ってしまえば、悲しいことに、

あらゆることが無駄だと言えてしまう気がするのだ。

ぼくらがこだわる勝ち負けや、いい悪いや、命や、平和など、

基本は地球に住むぼくら人間の中だけの、この瞬間の話であって、

宇宙から見れば、膨大な時の流れに潜む粒子のような、

瑣末ことばかりなんだろう。

そんなことをぼくらはこだわり、しがみつき、

ときどき忘れたりしながら、この地球で暮らしている。

 

主人公には、調律をもっとうまくなりたいという想いがある。

だけれど、じぶんがやっていることに対して、「無駄だ」と考えたことはなかった。

そして、「無駄じゃない」と思っていたわけでもなかった。

「無駄かどうか」という考え方に至ることがなかったのだと思う。

ことばは、じぶんや周りに説明して、納得させるため役割を大きく担っている。

だけど、じぶんが何かをするとき、すでにじぶん自身に納得しているのなら、

もはやことばはいらないのかもしれない。

 

リヤカーをひきながら世界中を歩く冒険家をテレビで見た。

「なんで歩くのか、じぶんでもよくわからない」とその人は言っていた。

意味も、理由も、必要あるのか。

そんなふうに、聞こえた気がした。

歩ける体と、歩きたいという気持ちがあれば、

もうそれだけでいいと思えたのだ。