今日のふとす

モットーは「毎日開店」。

だれかがいてくれるから

おいしい料理を知っているからといって、

おいしい料理をつくれるわけじゃない。

美しい絵を知っているからといって、

美しい絵を描けるわけじゃない。

おもしろい話を知っているからといって、

おもしろい話を話せるわけじゃない。

素敵な文章を知っているからといって、

素敵な文章を書けるわけじゃない。

それを知っていることと、それができることには、

大きく深い隔たりがある。

 

じぶんがおいしいと思うだけでは、

だれかを満足させることはできない。

じぶん以外のだれかがおいしいと思えるものをつくることが、

「おいしい料理をつくれる」ことだとも言えるからだ。

だけれど、だれかがおいしいと感じていても、

じぶんがおいしいと感じていなければ、

じぶんは満足できないだろう。

それは「じぶんの味」とはいいがたいからね。

じぶんの味を、だれもがおいしいと感じるところへ近づけたり、

だれかの「おいしい」を、じぶんの味によって「もっとおいしい」へ引き上げたり、

そのためには何度も何度もつくってみる。

だれかに食べてもらったり、

じぶんがだれかのつもりで食べたりしながら、

何度も何度もつくってみる。

そうやって、

もうじぶんのためにつくってんだか、

だれかのためにつくってんだか、わかんないよね、という、

じぶんを含めたみんなのためになっちゃってるような、感覚。

その感覚が、人と人のつながりを、

深いところで強くしてくれるのだと思う。

 

おいしいも、美しいも、おもしろいも、素敵も、

一人だったら始まらないのかもしれないね。

この世の中に、たった一人だけで生きていたとしたら、

人からは努力といわれるようなことも、

だれかに言いたいような発見も、

始まらないのかもしれない。

だれかがいてくれるからがんばれる、

というのは、本当のことのように思います。