今日のふとす

モットーは「毎日開店」。

好きなひとがたくさんいる。

震災後、初めて熊本にやってきた。

熊本の被災地に足を運んだ人の話を聞くだけでは、
わからないことはそりゃ多い。
なんてことを思っていた矢先に、
熊本に行く機会をいただいた。
それは、ある方に物資を届けに行ってほしいという個人的なもので、
ぼくは「ぜひ行かせてほしい」と引き受けた。
 
といっても、ぼくは震災現場の素人として、
まずはプロの人たちの邪魔にならないように、
じっとしていることが大事だとずっと思っている人間だ。
それもあって、現状、
個人で物資を届けに行くことが正しいことだとは思っていない。 
だけども、ぼくはいきたいと思った。
そして今日物資を届けるため、熊本に向かった。
八代インターを降りて熊本市内まで、
35キロ地点でゆるやかな渋滞がはじまった。
ぼくは車内に星野源の歌を流し、口ずさんでいた。
その後、かなり車が流れるようになったと思ったら、
12キロ手前くらいからギシギシの渋滞に出くわした。
それでも、少しずつ車は動く。
ぼくが思っていた以上に渋滞はひどくなく、
宮崎から3時間半ほどで熊本市内に着いた。
そして依頼通り、先方に物資を届けることができた。
「配給はあるけれど、時間がわかってるわけじゃないから。
配給場所に行っても『もうなくなりました』と言われてしまう。
炊き出しがあっても、
老人や不自由な人を優先していると、
じぶんたちの分をもらえなくなってしまう。
すべて自己責任なんだけどね…」
そんな話を聞かせていただいたその方は、
自宅と会社を往復していて、夜は車で眠っているそうだ。
そして、ぼくが届けたたくさんの物資をみて本当に喜んでくれた。
 
しかしながら、この話を美談にしたいなんて思っていない。
前述したとおり、こうして個人で動くことは、
現場で考えながら動いているプロの人たちの邪魔になり得るからである。
そして渋滞を引き起こしている原因の一つが、
まぎれもないぼくであるのだ。
 
それでもなぜ、いきたいと思ったのか。
それを車の中でもずっと考えていた。
それ以前に、チャリでの旅をやめてまで宮崎に来た理由を人から聞かれても、
これが答えだとじぶんが納得することを話すことができなかった。
でも、今日、糸井重里さんの本のなかの一節である、
寄せられたメールについての文章を読んでいたとき、ハッとした。
 
「幸せを感じるには、大好きなひとたちの生きている姿をただ見ることだと思います」
わぁ、いいなぁと思いました。
 
こんな冒頭からはじまる文章なんだけれど、
ぼくも同じだと思った。
つまり、ぼくをいつも動かすのは、
ぼく自身じゃなくて、
ぼくの好きな人たちの生きている姿なのだ。
また会いたいと思う人、
一緒におもしろいことやろうと思う人、
そういう人たちの生きている姿を見て、
ぼくは動いてるのだと思う。
もう、まいったな、と。
これだったんだ、と。
 
ぼくには、好きなひとがたくさんいる。
好きな人たちが生きている姿を見て、
ぼくは幸せを感じ、ぼくは今日を生きている。
誰かを助けたいとか、何かをしたいとかじゃなくて、
好きな人たちの今日を生きる姿が、
ぼくを動かしているだけなんだ。
転がり続ける答えの石ころが、
お腹にストンと落ちてきたように、ぼくは得心した。
この石ころをちゃんとお腹で転がしながら、
また明日も生きるのだ。