今日のふとす

モットーは「毎日開店」。

特別

じぶんは特別だと思っていた。

人と違うことをすることで特別であろうとしていた。

大学卒業後に働いていた会社での仕事も、

続けるうちに「これは別に俺がやらなくてもいい仕事だ」、

「俺にはきっと他にできることがある」などと思っていた。

震災後にボランティアに行ったのも、

会社を辞めてボランティアに専念したのも、

「人と違うことがしたい」という気持ちがあったのだと思う。

 

昔から目立つことが好きだった。

今思えば、小学生のときの児童会執行部議長や、

中学生のときの学年委員長など、

ただ目立ちたいがためにやっていたのだと思う。

運動はできたけど、上には上がいた。

勉強はそこそこだったけど、じぶんくらいできる子はたくさんいた。

何を努力したわけでもない。

誰かよりすごいとこがあるわけでもない。

周りと比べ、周りより劣っていると思うからこそ、

目立ちたかったのかもしれない。

 

誰かと違うことをすれば目立つ。

目立つことで上に立とうとする。

人より少しでも優位であろうとする。

そうすると「すごい」と言ってくれる人たちが現れる。

それによってぼくの承認欲求は満たされていく。

そしてその人たちに期待されていると勝手に思いこみ、

また人と違うことをして目立とうとする。

結局ぼくは何をするにも人の目を気にしていたのだ。

 

昨年始めたママチャリの旅も、きっとそうなのだろう。

全国のいろんな人たちに会いたい。

お世話になった会社に感謝の気持ちを表したい。

その気持ちに偽りはない。

けれど、それが真の目的ではないと今は思う。

ぼくは人より目立つために、

じぶんは特別だということを証明するために、

きっと旅を始めたのだと思う。

旅のなかでの出会いは本当にすばらしいものだった。

たくさんの人たちがぼくをあたたかく迎えてくれた。

それだけはぼくが感じたまぎれもない事実だ。

その出会いの一つひとつが旅の思い出として今も思い出される。

 

先日、『幸せになる勇気』を読んでようやくわかったのだ。

じぶんは特別なんかじゃない。

じぶんは平凡で、なんでもない、普通の人間なんだと。

たとえどれだけ目立とうとしても人より優れているわけじゃない。

決して劣っているわけでもない。

だから、特別であろうとする必要はないんだと。

それがじぶんの中で腑に落ちたとき、ぼくはホッとした。

気持ちが楽になった気がした。

だれかの期待を背負うことなく、だれかの承認を得ることなく、

じぶんの価値はじぶんで決める。

今のじぶんにできることで精一杯生きていく。

それでいいんだと思えたら、とても清々しい気持ちになった。

 

ここまで来るのは本当に長かった。

たったこれだけのことだけど、

わかることができたじぶんが今はうれしい。

震災からもうすぐ5年が経つ。

今のじぶんはあのときのじぶんとは違う。

でも、あのときからずっとじぶんなりにもがいてきたからこそ、

今のじぶんがあると思うのだ。

あのときがあったからこそ、

そんなふうに思えなくてもいい。

なんでもない今日を、今のじぶんで楽しむのだ。