今日のふとす

モットーは「毎日開店」。

がんばれ

みんながんばっている。

だれかに「がんばれ」と言ったこともある。

だれかに「がんばれ」と言われたこともある。

もうすでにみんながんばっていて、

周りの人もきっとそれを知っている。

だけれども、人はさらにがんばろうとするし、

だれかにもっとがんばってもらおうとする。

 

がんばっているじぶんを認めようなんて言うつもりはない。

ただ単純に、みんながんばっているなぁとなぜか最近よく思う。

そもそも「がんばる」という言葉ひとつとっても、

人それぞれの考え方や感じ方によって、

違いがあるんだろうと思う。

その違いがあることを認識しているかどうかは別に、

ぼくらは好き勝手に「がんばれ」と誰かに言ったりする。

その言葉のもつ意味のまま届けようとする人もいるだろう。

だけれど、その言葉の意味を超えて、

様々な想いも一言の「がんばれ」に乗せるときもあるかもしれない。

 

震災後、言葉の問題が起きたことを覚えている。

「十分がんばっているのに、これ以上なにをがんばれというんだ」

「気軽にがんばれなんて言ってくれるな」

「がんばろう日本」という標語をいたるところで見かけた。

被災した人にしかわからない気持ちがある。

それはわかろうとしても、

到底わかりきることのできないものだと思った。

 

ぼくは伝えられた言葉にも、その言葉に対する反感も、

必要だったんじゃないかと思う。

言葉というアクションをとおして、

返ってきたリアクションを受けて、

初めてわかる「痛み」がたしかにあった。

それを知るためには、

最初のアクションを起こすことを避けては通れない。

言葉には、恐れず伝える勇気と、

どう届くかを見守る責任が必要なんじゃないのかな。

人と人をつなぐ大切な道具として、そんなことを思うのだ。