今日のふとす

モットーは「毎日開店」。

自分の運ぶ石

人はじぶんであることをやめられません。

だれかに代わってもらうこともできないし、

じぶんが他の誰かになることもできない。

わたしで生まれたからには、死ぬ瞬間まで休むことなくわたしが続きます。

それはうれしいことなのか。

それとも、つらいことなのか。

そうやって、じぶんの人生に意味をつけるとするなら、

意味づけするのもまた、他の誰でもないわたしなのだと思います。

 

今日、雑誌『メッセンジャー』での

杉浦貴之さんと歌手のAKIRAさんの対談を読んでいて、

ぼくは心が震えました。

以下、インディアンの考え方について、AKIRAさんの言葉を抜粋します。

 

「人は生まれる前に、自分が一生かかって運ぶ石を、自分で選ぶ」


亀の子ぐらいの小さい石を選んだ人は、

苦労の少ない人生を送る。

何でかっていうと、

その魂はまだ幼稚園生レベルだから、

重いものが運べないわけね。

だから亀の子ぐらいの小さい石を選んで、

その苦労の少ない人生を選んだ人は、

まあ顔も良い、

頭も良い、

お金持ち、

やることなすこと何でもうまくいく、人間関係も全て順調。

これって俺たちがさ、超あこがれてる存在じゃん?

 

でも実は、

インディアンたちの考えでいくと逆なんだよ。

これはまだまだ魂が幼いから、重い石は運べない人だよ。

そしてまた生まれ変わって、いくつか苦労を重ねていくと、

アライグマぐらいの石を運べるようになる。

そしてまた生まれ変わって、

いろんな体験を積み、挫折を重ね、苦労を重ね、

それで人生体験を重ねると

魂も筋トレのように鍛えられていって、

強くなってより大きい石を運べるようになるんだって。

 

そしてまた、

今度は鹿ぐらいの石を運べるようになる。

例えば、災害で家族を亡くすような

とてつもない悲しみを乗り越えていく人。

で、最後の最後に、

本当にもう人生の輪廻を卒業するぐらいのレベルの人になると、

バッファローぐらいの石を運べるんだと。

それが障害者なんだって。

障害を持って生まれてくる人、

重い病を選んで生まれてくる人。

その人たちが、バッファローぐらいの

普通の人間では運べないぐらいの石を選んできた

「魂の勇者」だってインディアンは考えるんだよね。

 

その石を『勇者の石』 というんだ。

それを聞いた瞬間に

俺はもう天地がひっくり返ったわけ。

インディアンのラコタ族の長老が

俺に教えてくれたんだけど、

日本で馴染んできた考えと全く逆だったわけね。

障害を持つ人、病気を持つ人、それは可哀想な人で、

同情すべき人で、社会的弱者である、

って日本では捉えられてきた。

ところがインディアンたちは

まったく逆の考え方をしていた。

(以上メッセンジャーより抜粋) 

 

この目はそれをどう見ているのか。

この耳はそれをどう聞いているのか。

信じることと疑うこと、

その間で揺れ動くことの大切さを改めて感じました。

ぼくの運んでいる石の大きさがどの程度かはわかりません。

今のところ、障害を持っているわけではないから、

軽い石なのかもしれない。

だけれど、石の大きさに関わらず、

自分が納得のいく今日を生きれればいいなぁと思います。

 

今日もお越しいただいてありがとうございます。

このタイミングだからこその出合いなんですよね。