今日のふとす

モットーは「毎日開店」。

まどろみ

ここ最近のなかで、

もっとも大きな発見と自負していることがある。

それは、「まどろみ」だ。

朝起きる前の、意識があやふやでぼんやりしている状態のとき、

それまでの考えごとをふと考え始める。

すると、普段は思いつかないような策や、

見過ごしていた部分などの思わぬ発見があったりするのだ。

最近はこのまどろみに救われたこともあって、

大切にすべき時間なのではないか、という疑問が浮上した。

 

まどろみとはいえ、眠る前ではなく、起きるときがいい。

眠る前だとそのまま眠っちゃうものね。

というわけで、最近のぼくは完全にベッドから起き上がる前に、

実験として、必要以上にうだうだしている。

まどろみの時間の価値をさらに見出すために、

少しでも長く、まどろもうとやっているのだ。

 

朝はしんと静かだ。

じぶんのあたまもこころも、そういえば静かだ。

1日のあいだ、ほぼ騒がしいじぶん。

社会ではたらく人間とは、おそらくそういうもので、

しゃべっているかどうかにかかわらず、

じぶんの内側は慌ただしく、騒がしい。

そんなじぶんの心が休まっているときこそ、

まどろみの中だと思うのである。

これを機に意識と無意識の関係性を、より深く理解できたらおもしろいなぁ。

生姜シロップ

ぼくは生姜と相性がいい。

生姜のほうがどう思っているかは知らないが、

こちらは好きである。

ここ最近は落ち着いているが、

生姜への気持ちが高まるできごとが起きた。 

我が家にあの生姜シロップがやってきたのだ。

よく雑誌で見かける、体にいいらしいやつである。

気にはなっていたけれど、

母親の「同僚にすすめらたので一度試してみたい」

ということばにより、買ってみることになった。

 

早速、炭酸で割って飲んでみると、甘くなくておいしい。

はちみつをいれてお湯割りで飲んでみると、

さらに飲みやすくておいしい。

こんなにおいしいのに体にいいらしい。

すごいぞ生姜シロップ。

 

こういうたぐいの健康補助食品は、ちまたにあふれている。

ほとんどが健康のためのもので、かなり売れているのだと思う。

あれだけ広告宣伝されているんだもの。

健康がお金で買えるなら、という消費者心理がそこにはあるわけだ。

とにかくおいしいものを飲みたいという気持ちだったら、

たぶんきっと他の商品を買うものね。

少しずつ歳を重ねてゆくのが人間なのだから、

この命が続く限りは、体を大事にしてやりたいという想いは、

だれしもあるんだろうね。

 

いろいろな補助食品で健康を維持すること以上に、

日々の暮らし、食事とか睡眠とか、あと運動もか、

じぶんに合う基本的なことを、じぶんなりの当たり前のことを、

ちゃんとやっていきたい。

その上で、生姜に頼るじぶんでいたいね。

きれいごと

昨夜はいつもの友達たちとごはんを食べていた。

そこで「だれがもっとも人生を楽しんでいるか」という話題になった。

そんなの、だれがどの立場で「もっとも」なんて言うことができるのか。

よくよく考えてみると、くだらないはなしだと思った。

ま、しゃべってるときはおもしろがってたんだけどね。

 

それをふまえて、じぶんがたのしいと思えているかどうか、

それだけなのだと思った。

だれが何を言おうと、じぶんの人生はその人のものじゃない。

反対に、だれかの行動や人生にとやかく言ったりすることも、

もはやへんてこなはなしだ。

それでじぶんがたのしんでいるというなら、好きにさせてあげよう。

でも、そんなことよりも、本当に大事にしたいことは、

いかにじぶんの人生をたのしいものにしていくか。

それだけなのだ。

 

それだけを考えていれば、

何かのせいにしたり、だれかを笑ったり、

そういうことでじぶんを救おうとすることはないんじゃないか。

どんなときでもたのしくってのは、たいへんなきれいごとだけれど、

そこは逃げずにまっすぐ向かうべきところなんだと、いろいろな瞬間に思う。

 

きれいごとを貫くって、ものすごく厳しくて苦しい挑戦で、

だからこそ、きれいなんだろうなぁ。

そっちの出会いも

気がつけば9月も終わりそうである。

なのに今日の暑さは夏のものだ。

秋に近づいてきたと思いきや、夏がひょっこり顔をだす。

今年の天気はおかしいといろいろなところで聞くけれど、

毎年そんなこと言ってないか。

今年は今年の季節がある。

ただそれだけのような気もする。

暑いとか寒いとか、そういうことで、

わちゃわちゃ言えてることが、平和、のような気もする。

そんなわけで9月末。

いよいよ今年も終わりに近づいてきました。

 

今年はどんな年だったか、などと振り返るには早いよね。

だけども、今年の初めは派遣社員だったじぶんが、

再びのニートを経て、正社員となった。

それはなかなかに激動の一年だったのではないかと思う。

数ヶ月ごとに出会っている人たちが違うことを思うと、

今年もたくさんの「はじめまして」があった。

 

出会いの数だけいろいろな人がいるんだと、

当たり前のことを思う。

人と会おうとする意思があれば、おのずと出会う。

そんなものなんだと思った。

人に会う機会に恵まれていること自体はなぜだかわからないけれど、

出会いというものはおもしろさの一つだと思う。

じぶん以外の人やものに触れることで、

生まれる何かとの出会いがある。

そっちの出会いもあわせて、ぼくはけっこう楽しんでいるのだ。

 

変化の過程

たとえば昼寝をしようとしたときに、

普段は感じない冷蔵庫の音なんかがとても気になったりする。

かめきちが水槽の中で動き回る音や、

近所の子どもの声なんかが妙によく聞こえたりする。

目を閉じるということで、

視覚に頼らずに過ごそうとしたとき、

意識することが変わるのかもしれない、と思った。

 

たくさんのものを見て、たくさんの音を聞いて、

ぼくは1日を過ごす。

そのたくさんのすべてを意識しているわけでなくて、

ほとんとは気にもとめず通り過ぎていく。

すべてをちゃんと感じることなんて、

なかなかできるもんじゃない。

美術館に行くのは好きだけれど、

いったいどこまで理解して見ているのか。

小説を読むのは好きだけれど、

いったいどこまで深く読めているのか。

そういう感覚がある。

 

わからないことがあって、

わかっていると思っていることもある。

そのじぶんの感覚はきっと誰とも同じではないんだろうとも思う。

それでも、じぶんが表現しようとするとき、

じぶん以外の人にもちゃんと伝わることを考えなきゃならないよね。

話すにしろ、書くにしろ、

いつでもどこでもその覚悟を持っているじぶんでいたい。

 

できなかったという経験が、変化をするきっかけになる。

その変化しようとする過程をおもしろさと捉えられれば、

どんなことも楽しめるのだと思う。

怒り

今年の邦画は観に行きたい作品が多い。

西川美和監督の『永い言い訳』、朝井リョウさんの小説が原作の『何者』、

大根仁監督の『SCOOP!』、そして山崎貴監督の『海賊と呼ばれた男』。

ざっと挙げただけでも話題作がずらりと並んでいる。

シン・ゴジラ』といい、『君の名は。』と言い、

今年の邦画はすごい、と感じているのはぼくだけじゃないはずだ。

 

昨夜、李相日監督の『怒り』を観に行ってきた。

期待はしていたけれど、その期待を軽く超えてきた。

心をゆさぶる映画と口では言っても、

その作品に込められたものはなかなか目には見えない。

だけど伝わるんだなぁと思った。

役者、スタッフ、関わる人たちの熱量が圧倒的で、

呼吸するのを忘れそうになる。

すごい映画に出会ったと思った。

映画というもののすばらしさを全身で感じる映画だった。

 

邦画が盛り上がっていることは、邦画好きのぼくとしては、

とてもうれしい限りです。

今年はじゃんじゃん観に行こうと思います。

細部

友達と話していたら、ときどきだけれど、

何かの流れからジブリの話になったりする。

どの作品が一番好きかだとか、どのシーンが好きだとか、

それぞれ好き好きに語りだしたりする。

そんなとき、多少の差はあるけれど、

ジブリをだれもが知っている」ということのすごさに驚かされる。

 

豊田市美術館へ『ジブリの立体建造物展』を観に行った。

まず、豊田市がなかなか遠かった。

電車を何回か乗り継いで、ようやく着いた頃には11時を回っていた。

館内は入場までに45分待ちとなっていて、その長蛇の列にぼくも加わる。

意外とスムーズに進み、ストレスなく入場できたけれど、

もちろん館内もおおいに賑わっていた。

 

今回の展示はジブリ作品の建造物に焦点をあてている。

というわけで、より詳しく知るためにと、

音声ガイドを使って回ることにした。

よく美術館で使われている人を見かけたことがあるが、

じぶんが使うのは初めてである。

音声ガイドで建築家さんの話を聴きながら、

作品内に登場する建物の絵やジオラマを見てゆく。

そんな人たちがぼく以外にもたくさんいるわけで、

人の間を縫うように進んでゆく。

 

建築のことも、ジブリのこともくわしくはないけれど、

細かいところまでリアリティを求める姿勢が、

あの世界観を作り上げてきたのだと感じた。

そして、ありふれた日常の中にあるものを大切にすること。

どれだけ架空の物語でも、

観る人に寄り添う作品を作ろうとする意思を細部である建物から感じた。

ぼくが観てきたこれまでのジブリの作品はどれも丁寧に描かれてきたのだ。

観る人の好き嫌いはあったとしても、

作り手はいつも、ものづくりにおける大切なことを忘れなかったのだと思えた。

 

館内を出ると、人の多さに呼吸を忘れてたんじゃないかと思うほど、

解放された気分になった。

とりあえず、観ることができたということにぼくは安堵した。