今日のふとす

モットーは「毎日開店」。

おわり

このブログを続けてきたことで感じたこと、考えたことがある。

毎日書くということは簡単なようでなかなかむつかしい。

それでもたくさんのわからないことと一緒に、

とりあえず何かを書くという姿勢でやってきた。

そんなこの「今日のふとす」も、

そろそろ終わりがやってきたと思ったのだ。

 

やろうと思えば続けられる。

何事もそうなのだ、なんて大それたことは言えないけれど、

続けられることもあるのだと、じぶんでやってみてよくわかった。

もちろん続けられないとわかったことのほうがたくさんある。

 

 

ぼくは文章を書くことが好きなのかもと思う。

その一方で、文章を書くことが好きじゃないのかも、とも思う。

それがぼくの本音のところで、本当はどうなのかを知るために、

なんとか書き続けてきたところもあったように思う。

結局どっちかは今でもわかっちゃいない。

だけれど、もうそんなことはどうでもいい。

 

これからも文章を書き続ける。

今度は物語を書いてみよう。

いつかやろうと思っているだけでは、

なにも始まらないことを知っている。

知っているけれど見て見ぬふりをすることができるから、

ぼくらは笑うことができたりもする。

だけれど、今日始めてしまうこと、明日に持ち越さないことも、

それはそれで一つの笑い方だと思ったりするのだ。

 

今日までお読みいただき、本当にありがとうございました。

またいつかどこかで、お会いしましょう。

ほいでは。

福里さん

たとえば、だれかにほめられたりする。

そんなとき、ぼくの場合はたいてい調子に乗ったりする。

調子に乗ってそうなんだと激しく思い込む。

そういう積み重ねがぼくにはあったのだけれど、

全然そんなことはないんじゃないか、と最近気づいたのだった。

いろんな人たちがほめてくれて、

そのおかげで支えられてきた部分はたしかにある。

けれど、どこかで勘違いしてしまっていた部分は大きいように思ったのだ。

 

才能の話をしてしまえば、

ぼくより才能がある人などゴマンといる。

そんなことでさえ、気づくまでに、

だいぶん時間がかかったような気がする。

手を抜いている場合じゃないのだ。

最初から本気でいかなければ、ついていけないだろうし、

簡単に打ちのめされる。

それはもう、だれかや何かのせいじゃなく、

じぶんにできることを精一杯やっていくしかないのである。

 

 

最近読んでいる福里真一さんの、

「困っている人のためのアイデアとプレゼンの本」がおもしろい。

CMプランナーである福里さんは、コミュニケーションが苦手で、

人と目を合わせて話をすることができない。

昨今、話題になっているような、コミュニケーション力やら人間力などを、

まったく持ち合わせていない。

にもかかわらず、すばらしいテレビCMをじゃんじゃんつくられている方である。

世の中には人とうまく関われない人たちがいる。

もしかしたらぼくだってその一人のようにも思える。

でも、たとえそういう人でも、

やり方次第で、だれかを喜ばせたりすることができるのだ。

 

飾らずに、ありのままのじぶんで生きる。

そんなこと、と思えるようなことだけど、

むつかしく考え始める人だっているだろう。

いないのかな。

ぼくはその一人だ。

でも、じぶんはこういうことが苦手だ、

ということを克服しようとするのでなく、

そんなじぶんを自覚した上で、できる生き方がある。

今のじぶんを受け入れて、できるやり方を見つける。

苦労は多いかもしれないけれど、

前に進む意志がある限り、道は開けるのだと、

福里さんは感じさせてくれたのだ。

そういう人間だと自覚した上で、

今日を自由に模索していく生き方を楽しむ。

この本を読んでいて、ずいぶんと視野が広がった気がする。

風邪をひいていない。

たとえば風邪をひいたとして、

そういうときはまぁ、風邪をひいたぞ、という話をするわけです。

風邪をひいてないときと比べて、

変化が如実にわかるので、そういうことは話題にしやすいのです。

それはさておき、

今年はまったく風邪をひいてないぞ、と思ったのです。

もちろんありがたいことで、

やっぱり健康第一なので、うれしく思います。

この状態がふつうというならば、

今さらながら「ふつうバンザイ」といった感じです。

 

健康であることは以外とわかりにくくて、

忘れていて、気がつかなくて、さりげない。

健康じゃなくなったときに、改めて健康のすばらしさを知る、

というわけなんですよね。

それは風邪をひくたびに毎回思うことで、

そういうときにしか健康のありがたみを感じることがないんですよね。

 

だからこんな健康なときだからこそ、

ありがたみをたっぷり感じようと思ったのです。

食と睡眠を大事にしつつ、少しの運動をがんばる気持ちを忘れず、

健康な暮らしを前提として今日を過ごす。

ちゃんとした土台がないと、

おもしろさを感じ続けるゆとりや、

ユーモアをつかみ取る余裕がなくなっちまうものね。

 

健康なじぶんだからこそ感じられること、

できること、できないこと。

恐れずいろいろ知ってゆくなかに、

じぶんのおもしろさは隠れている気がするのです。

昨日はお墓参りへ行った。

場所は土岐市の山奥の墓地である。

蚊がわんさかいるし、スズメバチは飛ぶし、

なかなか自然が豊かなところだ。

雑草を抜いて、水を替え、花を添えて、手を合わせる。

感謝の気持ちをこういうときに思い出す。

こういうときがないと、なかなか思い出さない日常である。

そういえば、お墓参りとなると決まって父方のほうのお墓に行く。

どこかのタイミングで母方の墓参りも行きたいと思っている。

 

知り合いの方に栗をいただいた。

その栗を使って、母親が栗ごはんをつくってくれた。

絶妙な塩加減があいまって、おいしい。

ふと、秋を感じた。

ここのところ台風などの影響もあり、天気がぐずつく日が多い。

じめじめと暑い日もあるけれど、少しずつ肌寒くなってきている。

すでに、秋の真ん中にいるのだと思う。

いろいろな秋といったりするこの時期、

今までどおり本を読み、おいしくごはんを食べる。

適度に運動して、ぐっすりとよく眠る。

友達としゃべって笑い、仕事もおもしろがってやる。

そういう生活を、そういう1日を、大切に生きる。

 

そんなことを改めて思う秋の夜長であります。

ほんと、夜が長くなりましたね。

2度目

またしても、映画『君の名は。』を観に行ってきた。

2回も観に行こうとするじぶんにも、

じぶんを動かすこの作品にも、少しの驚きはあるが、

それでももう一度観たいと思う作品だと思った。

1度目とはちょっとは違うだろう冷静な感覚のじぶんで、

観てみたいと思ったのだ。

 

公開から1ヶ月以上経つこの時期にもかかわらず、

館内は人で溢れていた。

こんなにもみんなポップコーンを食べるんだね。

ホットドッグとかチュリトスとか、食べるんだね。

映画館が元気になっていると感じた。

 

映画の世界というものがあるとして、

そこに入ったらずっとその世界を感じさせてくれる。

それは映画館という場所がもつ力で、映画そのものがもつ力だと思う。

いい映画とは、映画館でしかわからないのかもしれない。

他者と一緒になって映画にのみ集中するという不思議な空間で、

時間を忘れて映画を観る。

音楽も物語も構成も、観る者をその世界から帰さない。

 

心を動かすということは、簡単なことじゃない。

だからこそ、動かされたときに、人は動きたくなる。

映画のおもしろさを感じる映画だと改めて感じたのでした。

整理しよう

今日は何をしようと考える朝、

思いついたのは、整理整頓だった。

さっきの話なんですけどね、

なかなか部屋が散らかっているので、

整理しようと思い立ちました。

 

学生のころ、テスト勉強している最中に、

気がつけば引き出しの整理整頓を始めちゃってるなんてこと、

ぼくにもありました。

本当にやらなきゃいけないことに対して、現実逃避としての整理。

あれはなんだかスリルがあるよなぁと思うわけです。

やらなきゃいけないとわかっているテスト勉強を、さしおいているわけですからね。

どれだけ引き出しがきれいになろうとも、

テスト勉強が終わるわけでも、テストの点が上がるわけでもない。

それらすべてわかっているんだろうけど、

整理整頓に没頭してしまうじぶんがいる。

 

ひょっとしたらこれが息抜きになっていい成績につながるんじゃないか、

と思うじぶんもいるわけです。

一度頭を空っぽにして、みたいなね。

おバカな発想といえばそれまでなのですが、

ぼくの引き出しがきれいになるときは、

きまってテスト勉強のときだったような気がします。

そして整理整頓に関係なく、たいしていい成績をとった記憶はございませぬ。

 

そんなときを経て、今回は整理整頓で少し部屋をきれいにしてみます。

ほっておくとモノに溢れてしまうから、

意識的に減らしたり、無くしたりしていかなければ。

そうすると、また新しくやってくるものがある、と考えるわけです。

あたまも、こころも、整理してあげる時間とか余裕って大事なんだろうなぁ。

立ち止まったり、ときに後ろに下がったりして見えるようで、

本当に前に進むためには大事なことなんだろうね。